アコギ経歴
大学を卒業して就職した会社で、先輩と仲良くさせてもらっていまして、時には音楽のことも話すようになりました。その会社では社内の夏祭りがあり、そこでバンドやらないかと誘われ、ただただ楽しそうだったので、即OKして仲間に入れてもらいました。それなりに楽しかったのですが、仕事にやりがいが見いだせず、だんだんやる気も失せていき、結局3年勤めて退社することにしました。
この頃に、友人2名の結婚式披露宴で、アコギの演奏係をやらせてもらいました。こちらも、緊張したけど楽しかったです。良い思い出になりました。
28歳になる頃、地元のフランチャイズ形式の学習塾に採用してもらって、半年後には教室責任者となりまして…。仕事が忙しくて、正直に言えばギターへの気持ちが薄れていました。ブラック学習塾を辞めて、激務から解放されたときには、もう37歳になっていました。
その後、40歳で学習塾を独立開業して、軌道に乗るまでは気が気ではなく…。仕事に没頭する日々を過ごしました。開校3年で軌道に乗り始めて、開校7年目には、生徒数もピークに達しました。この頃は、特に音楽仲間がいるわけではなかったのですが、知人がライブハウスを開くというので、早速行ってみることに。田舎の地方都市ですが、おしゃれなお店で雰囲気も良く、その後もたまに足を運ぶようになりました。私の塾経営も落ち着いてきた頃、ライブハウスへ行く頻度が増えて、ママから「ギター練習してる?お店でやったらいいじゃん。」っては言われていたのですが、何せ実力も勇気も無いので、その気にならずで。さらに数年が経ち、ママから「耳の病気(メニエール病)になってしまって、お店が続けられなくなった。」との電話がありまして、結局お店を閉めることになってしまいました。さらに1年が経ち、ママの病気が改善してきたとのことで、弾き語りユニットを組んで一緒にやろうということに。
弾き語りユニットは『polepole(ポレポレ)』という名前をつけました。スワヒリ語で『じっくりと、ゆったりと』という意味です。50代となった私たちにはピッタリの名前かなと思います。
弾き語りユニット始動
ユニットの練習は、平日の昼に教室のスペースを使ってやっています。二人でポータブルPAを購入しまして、それにつないで音量を上げるので、大家さんにも断りを入れて練習しています。まずは、懐かしい曲のカバーをやろうということになり、尾崎豊や中島みゆきの名曲などをレパートリーにしていきました。練習の成果をどこで披露しようか、という話になり…。知人でスナック経営のママに「お店でライブをやらせてもらえないか?」とお願いして、ママは快くOKしてくれました。初ライブはド緊張でしたが、後半はお酒も回ってきて、とっても楽しかったです。その後に2~3回ライブをする機会がありましたが、翌年の3月に世界的な『コロナ感染症拡大』で、ライブができなくなってしまいました。そのあとは、コロナが落ち着いてきた7月に知人数名に声をかけて、1回だけ公開練習をしました(下の動画です)。翌年の7月は、東京五輪の予定ですが、どうなることやら…。せっかく作ったユニットも消滅させたくないので、お互いに連絡取り合って、ライブへの意識は持ち続けています。